このドキュメントは、僕が甲南大学文化会文学研究会で行ったグリム童話の構成研究を行った上での苦労や考えさせられたことなどを含めながら、時間軸に沿ってその記録をもう一度たどっていこうというものである。


  1. 1997年・春「研究テーマの発想・童話ってどうしてこんな話ばかりなんだろう」

  2. 1997年・夏「グループでの研究・大量の作業をこなす為か、意見を集める為か」

  3. 1997年・秋「研究発表冊子のあり方・分析過程を載せるか、読み物にするか」

  4. それから「そういった経験をどのように生かしていけばよいのか・これが一つの解」


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1. 1997年・春「研究テーマの発想・童話ってどうしてこんな話ばかりなんだろう」



 1997年、僕は甲南大学文化会文学研究会の新2回生として同回生らと、部の執行として研究の中心となっていかなければならなかった。まずその全てのスタートとして、何を研究するのかを決める必要があった。そのテーマには様々な提案が集まっていた。神戸を舞台とした文学作品の研究・神話・童話などがそれらだ。それらのテーマが提案された理由、それらは全て「面白そう」だとか「なんだかやってみたい」といったものだった。そのように数多くあげられた研究テーマのなかから、神話と童話の人気が高く、最終的にそれら二つの中から研究テーマを選ぶことになった。
時と場所を移して3月初旬の城崎、僕たちは研究テーマの最終決定の場所として春合宿を迎えていた。城崎へ向かう電車の中で、僕はギリシャ神話とアンデルセン童話を読んでいた。その時読んだギリシャ神話「アポロドートス」に対する感想は、事実の羅列ばかりで面白くないということだった。こんな神話を一年間研究していくのはしんどいだろうという理由で、あっさりと研究では童話をとりあげることに決まった。しかしここからが研究テーマを決めるという作業の始まりである。童話の何を研究するか、どのように研究するか。
「童話ってどうしてこんな話ばかりなんだろう」
「なぜ、こんな話が生まれたんだろう」
それが僕たちの読後の素直な感想だった。そこで僕らは格好をつけたかったのだろうか。「なぜこんな話ばかりなのだろうか」ということから「どうしてこのような話が生まれたんだろう」そして、「童話が誕生した理由」という壮大な研究テーマへと結びつけようとしていた。それからそのような方向性で、研究テーマをまとめていった。文学研究会ではそのようにまとめたテーマを先輩方(新3回生)が承認し、正式にテーマを決定するという方法をとっていたのだが、案の定、先輩方からは、その研究テーマは「無茶だ」とか「できるのか?」といったような意見が出された。そして「童話が誕生した理由」というテーマは、文学の研究テーマというよりは民俗学や歴史学といった分野に属する研究なのではないのか、といった意見も示され、僕たちは研究テーマについてもう一度考え直すということになった。もちろん当時の僕らは、その研究テーマは素晴らしいと考えていたに違いないが。
そうして、もう一度研究テーマについて考え直さなければならなくなった僕たちは、ずっと冷静になって、自分たちの考えた研究テーマを見つめなおしていた。興奮した状態で話し合いを進めた結果冷静な研究テーマになっていなかったということに、改めて気づかされながらもう一度話し合いを深めていく。もちろん基本的な方向性は間違えていない。「童話ってどうしてこんな話ばかりなんだろう」そんな素直な感想から全てを始める。「童話を読む事は楽しいことなんだ」そういったことを示すために、という考え方も出てきた。「童話が誕生した理由」そんな高尚そうで、無茶な、発想を転換していき研究テーマをまとめていった。
ところで、もう一つこの研究テーマを取り上げる上で問題となることがあった。それは僕らが取り上げようとしていた童話が海外の童話であり、研究の時にはその翻訳を読んで研究をするということであった。翻訳された文章は翻訳者の思想が入り、もとの文章とは違うものなので研究として取り上げるのは問題があるのではないか、ということである。このような問題があり、実際に文学研究会ではしばらく日本文学の研究ばかりが行われていた。僕たちはこの問題点の解法として、文脈を読んでいくのではなく、文章の構成を研究するという手段を用意しようとしていた。ここで研究テーマのまとめの話に戻るが、「童話ってどうしてこんな話ばかりなのか」ということ答えを、その物語の構成から解き明かしていく、それが研究テーマとなっていったのである。ずいぶん強引に結び付けたように聞こえるかもしれないが、実際に童話を読んでみてユニークなものやキャラクタが登場することに気が付き、それらが物語の展開に対しどのような影響を与えているのか。それが、この童話独特の雰囲気を形作っているのではないか、ということを感じてその構成を研究することに決めたのである。
なぜ童話の中でもグリム童話を選んだのか、という疑問があるかもしれないが、僕自身どうしてグリム童話になったかということを良くは覚えていないし、確か僕がドイツ文学が好きだといって決めてしまったような気がするが、後々の研究でもこれが問題となることは無いので、研究テーマ決定についてはこれまでとしておく。




2. 1997年・夏「グループでの研究・大量の作業をこなす為か、意見を集める為か」



 さて、研究テーマを決めそのアプローチの仕方として物語の構成を分析していくということも決まった。そのような研究テーマに基づいた実際の研究が、1997年度の前期、つまり4月から7月にかけて行われていったわけだが、実際にその研究活動は実りの多いものではなかった。研究テーマとしてあげていたことは、物語の構成を取り上げる事と、物語に登場するものやキャラクタを取り上げることであったが、実際に週2回集まって話し合っていることといえば、読後の感想をだらだらと話し合っていただけだった。もちろん、それらしいこととして物語に登場するものを上げていくという作業も行ってはいた。そのような研究の進行に疑問をもった僕は、研究の進行役である研究班長に研究の仕方について話し合うべきだという提案をした。しかしながら「研究の中心となるべき2回生からの意見が少なすぎる」というコメントだけが返ってきただけで、彼とは完全に問題意識がずれていた。そのような状況のまま時間だけが過ぎていき結局7月、夏休みに入ろうかという時期になってしまっていた。研究も土壇場の時期であり、夏休みには総論として研究結果を出さなければならなかった。そのような時期になってもまだ彼との意識のずれはそのままで、結局僕が提案した「物語の構成を表にまとめる」という作業を部員全員に割り振ってその結果を総論でまとめるという形になったのはよいが、彼にはその意図がわからないままだったように思われた。
8月夏休み、計画どおり総論をまとめる時期になり、皆集まって研究の総括の話し合いに入った。そこでは、前期の研究で上げてきた物語に登場したものやキャラクタをまとめたり、皆で作成してきた物語の構成を表にまとめたものから、考察を考えたりするはずだった。しかしながら、研究班長がまとめていると思われた登場したものやキャラクタについては一切資料が無く、まとめた表についても総論の話し合いで一切使用されることは無かった。僕の考え方としては部という組織で研究する場合は、共同で資料を作ったり、調べたものを持ち寄ったりしながら、研究を進めていく方法が自然で適当だと考えていた。しかし研究班長の彼は、部という組織で研究をする場合はそれぞれが意見を言い合い、その最小公倍数のようなものを部の意見として総論にまとめるという考え方をしていたらしい。僕は何の根拠もない意見を集めた上に、それを一人の人間(つまり研究班長である彼)が主観に基づいてまとめるという研究のやり方に納得ができなかったので、総論は無視し独自に資料を作成しなおすという作業を行うことにした。
集団で研究をするメリット。それは一人では到底調べることができない量の資料を調べたり、まとめたりすることができることで、それによって研究の結果にも説得力が増す。また、単純に共同作業を行うことで達成感を共有できるので楽しいということもあるかもしれない。しかしながら、この研究では、一人ではこなせない大量の資料を集める、まとめるということを行うことはなかった。また僕に限っていえば、その大量の資料を一人でまとめることになったので、共同作業による達成感の共有というメリットすら捨ててしまうことになった。実際夏休みの終盤あたりからは、ずっとパソコンとグリム童話の置いてある机の前で一人、その物語の構成をまとめるという作業を続けることになってしまっていた。
実際どのような作業を行っていたかというと、表計算ソフトの列のセルに物語の展開を順番に埋めていき、その展開をある程度まとめて右横の列に入力する。それを繰り返し、最終的には一つの物語が一つの言葉で表されるようになる。それが終わると逆に、物語の展開の位置にあわせて登場した特長的なものやキャラクタを入力する。これで入力の作業は終える。次に、そのようにまとめられたシートを今度は逆側から見つめなおし物語の展開を樹形図にまとめる。これが、物語の展開を表す表になる。今度は、物語の展開にあわせて登場した特長的なものやキャラクタをまとめる。この作業は入力したそれぞれの物語のシートを一つにまとめる作業を行い、そのまとまった表を入力した特長的なものを入力した列を規準に並べ替えを行う。このように言葉で説明していても、どのような作業を行っていたかはわかりにくいかもしれないが、とにかく地味で時間のかかる作業を行ったのである。




3. 1997年・秋「研究発表冊子のあり方・分析過程を載せるか、読み物にするか」



 僕が、グリム童話の物語構成をまとめるという作業続けることになってしまった原因のひとつがこれである。11月の学園祭での研究発表で配布する研究冊子に、構成を分析した表を掲載することが決まったこと。研究発表の冊子では例年、研究の総論と取り上げた作品の紹介文を掲載することになっていたが、「赤ずきん」や「白雪姫」などの童話を今更紹介するというのもどうかという問題も有り、また研究の資料として価値があるだろうということで結果、物語の構成を示す樹形図と物語の特徴的な要素の一覧を掲載することになった。ちなみに、物語の構成を示す樹形図のことを僕は話形樹と命名し、部内でもそのように呼ばれるようになった。しかしながらここでひとつの問題点に気づくはずである。実際の研究では、僕が作成した話形樹や構成要素の一覧などは用いられていない。研究冊子には分析過程が載せられるのであるが、分析過程と研究の結果である総論に関連性がないのである。しかしながら、そのとき副編集長であり時期編集長候補となっていた僕は、そんな研究冊子を作らなければならなかった。
と、僕がそのような作業を進めている間、他の部員たちは学園祭の展示の準備を行っていた。僕はというと、研究冊子をまとめる作業に追われ展示に関してはほとんど関わっていなかった。実際覚えていることといえば、展示の文字パネルに貼る用紙が汚れてはいけないといって丁寧に扱われていたにもかかわらず、展示を見にきた方に渡さなければならない研究冊子が適当に扱われていたため裏表紙が折れ曲がっていたりしていていくらか処分しなければならなかったということだろうか。僕が体を壊すほどに体力と時間をかけて作成した研究冊子よりも、単に印刷業者に持ち込んで印刷しただけの紙切れの方が大切にされるということに怒りを覚え、部員たちと会話をするのも嫌になったのを覚えている。このように部員たちとの距離はますます離れていき、僕は部室にはほとんど顔を出さないようになっていた。
ずいぶん話が横道にそれてしまったが、僕が展示についてほとんど関与せず何も知らないので研究冊子の方に話を戻すことにしよう。どのような研究冊子を作成したか。はじめに、導入部、話形樹、構成要素一覧、総論、参考文献、おわりに、というような流れの冊子を作ることにした。この中で、はじめに、総論、おわりに、については研究班長が担当したので、僕は導入部、話形樹、構成要素一覧を作成した。僕が担当した項目については、ほとんどが資料で自分で文章を書くという部分はほとんど無かったが、話形樹や構成要素一覧については自分の判断で解説をつけ、またそれぞれの項目の表紙に短い説明文を加えた。そのような冊子を作成した結果、研究の総論と冊子の内容はますます乖離していった。僕が書いた話形樹や構成要素の解説では、その資料から何が読み取れるかということであり、考察については総論に任せるという形になっていた。しかしながら総論は、分析から始まり考察へと進む。もちろん総論での分析と各資料の分析は関連性の無いものになっている。そのようなバランスの悪い冊子を作ることには非常に抵抗があり、総論を自分で書いて差し替えようかとも思ったが、自分の担当部分だけはきちんとつくるという方針で話形樹や構成要素一覧の解説は、理にかなったものになるようにした。
このような僕と部員、とりわけ研究班長とのずれが学園祭の研究発表にも現れていった。一つ目は先ほど述べた一貫性の無い内容の研究冊子。次の大きなずれは、研究発表の題目と冊子の題名が一致していなかったこと。研究発表の題名は「童話」、研究冊子の題名は「グリム童話構成研究」となっていた。このように分裂した状態の研究発表が行われたので、研究発表に訪れた方に行う説明では冊子の資料のみを使って説明する部員と、文字パネルのみを使って説明する部員の二つに分かれていた。もちろん僕は冊子を使って説明をする部員の方だったのだが、訪れた方の中にはパネルの内容を見て質問をされる方もいたりして、意味不明なパネルの内容に関する質問に答えるのに苦労したことを覚えている。
このように研究冊子や展示にまでわたって、僕と研究班長の考え方の違いが影響を及ぼしていた。実際今振り返ってみると、客観的な分析をおこない研究らしい研究成果を出すことを中心とし、その活動を通じた互いの交流などを通じて活動を盛り上げようとしていた僕と、研究を行うことや成果を出すことよりもその場の交流を重視していた研究班長の意識の違いだったのだろう。実際研究班長は、研究の説得力を高めるための資料作りなどは軽視し、研究活動で全員が発言できること、なるべく多く意見交換ができることを重視していたようだ。僕はというと研究活動では、研究の方向性を明確にすることが、それぞれの部員が何を発言すればよいかがわかる事につながり、活動が活発化すると考えていた。逆にいえば研究の方向に沿っていない意見交換は混乱を招き、活発な活動に水を差すと考えていた。どちらの考え方が正しいかについては、もちろん僕は自分の考え方が正しいと思うが、これを読んでいる人が判断すればよいだろう。
このように学園祭の研究発表で僕は、非常にしんどい思いをし、また部員たちとも仲が悪くなったが、学ぶことは非常に多かったように思う。研究冊子については、割と自由に作ることができたので達成感も得ることができた。しかしこの研究班長が示した総論を載せる研究冊子としては、分析資料を載せるよりも、グリム童話の紹介文の方がお似合いだったのではないかと思う。




4. それから「そういった経験をどのように生かしていけばよいのか・これが一つの解」



 それから、僕らの次の代の部員たちが研究を始めようとしていた。題目はというと、ガブリエル=ガルシア=マルケスという作家についてだ。もちろんここでの僕の役目といえば、過去の自分の失敗と成功経験を生かし、後輩たちに助言してやることだった。しかし僕は何もできなかったと思う。グリム童話の研究をあれだけ懸命に行った僕であったが、部員たちを嫌っていたということもあり研究などやる気がおこらなかった。グリム童話の研究で僕の意見を無視しつづけていたのは同輩たちであり、別に後輩たちは悪くない。そう思って何度も協力していこうと思ってはいたのだが、僕が示した意見に対して後輩たちが否定的な態度を示すと、僕はすぐに引き下がっていた。後輩たちにまで嫌われたくない、そう思って自分を守ることに必死になっていたような気がする。確かに後輩たちの研究が最後に近づいた段階では、積極的に意見していたがもう遅かったように思う。結局僕は、自分の失敗を生かすことができずに、後輩たちの研究を傍観してしまっていた。
いまでも心残りで仕方が無い。しかしながら僕は既に文学研究会のOBであり、部活動に参加することはできない。そこで僕は、これを読んだ後輩たちや何らかの組織活動や研究活動を行う人たちの役に立ててもらえばよいと思い、ここに自分の経験を記した。このドキュメントには何もたいしたことは書いていない、またこれといった大きな主張も行っていない。しかしこの僕の失敗経験を読んだ人が僕と同じ失敗を繰り返さないでくれればよいと思う。この経験の中での僕の最大の失敗は、研究に真剣に打ち込むあまりに、協調性を欠いてしまったということなのだろう。もちろんそれ以外の数多くのことから、組織における意思決定・研究の考え方など数え切れないことを学んだ。そのように考えると失敗も成功も含めて、僕と同じような経験をすることは非常に価値のあることだとも思う。失敗はつらいことで経験したくないことだが、それによって得られるものは非常に大きいとも思う。結局の所、何を言いたいのかまとまりのないままだが、これを読んだあなたが僕の経験を自由に使って何らかの役に立ててもらえれば幸いである。


非常にまとまりの無い文章で読みにくい面が多々あったと思われるが、最後まで読んでくださった方に心からの感謝をさせていただく。

2000年12月15日
三上 威