私たちが使っているこのインターネットがこんなに普及するとは数年前まで予想しがたい事だったと思います。でも私自身は、情報通信に興味があり、更に情報科学を学んでいるのだから、この流れについて行きたいものです。だから、私なりに情報通信の将来像を描いてみました。私の描く世界を少し覗いてみて下さい。


1.はじめに
1.マルチメディアの次へ
2.家庭内ネットワークの可能性
3.パーソナルコミュニケーション
2.超メディア通信
1.超メディア通信概観
2.超メディア通信に関する提案
3.超メディアの実現に関する提案
3.FA、OA、HA
4.モービルツール
5.おわりに
参考文献




1.はじめに



「これからの時代の情報通信が、どのように発展していくのか?」
これは私が今とても関心を抱いている事です。数年前にインターネットがこれほどまで普及することを予想できた人はどれくらい居るのでしょうか。私自身は電話代の壁が高く、本格的に普及していくのはだいぶん先ではないかと思っていました。私の場合は逆にLANがもっと普及すると考えていたのですが、本格的に家庭内LANが普及するのはまだ少し先の話になりそうです。現在というものが数年前ににすら予想しがたいものであるということを、私は痛感しています。しかし、人間にとって未来がどうなっていくのかという事に関する興味は薄れるものではありません。そこで、私自身が大変興味を傾ける情報通信の未来について、予想とは言いませんが、私の描く未来をここにあげていこうと思います。


1.マルチメディアの次へ



マルチメディアという言葉の意味を理解している人がどれくらいいるかという事はさておき、今どき誰もが耳にしているマルチメディアを用いた通信手段というものは実際にも、またこれからも世の中に現れていくことでしょう。しかし、マルチメディアの次はないのでしょうか? 私はあると思います。私はこれを超メディア(スーパーメディア)という言葉で表したいと思います。
具体的に私が描くこの超メディアとは、メディアの枠を越えた情報のことです。以下、これを用いたコミュニケーションを「超メディア通信」と呼ぶことにします。メディアの枠を越えたコミュニケーションとは、文字・音声・映像・音楽といった既存のメディアという形にとらわれずに、自由にそのコンテンツが持つ内容を交換するという事です。具体的に言うとするならば、電話からe-mailを打つと言ったようなことです。人と人が直接会話をする時には人と人の間にある空気を振動させて相手の耳に伝えます。一方、人と人がデジタル方式の電話を使って話をする時にはその間にはデジタル化された音声情報が流れているわけです。また、e-mailの場合はデジタル化された文字情報があるわけです。デジタル化された情報がアナログの情報よりも用意に加工できるということを考えると、音声情報と文字情報を相互に交換する事が可能になり、音声と文字のメディアの枠を越え、コミュニケーションを図ることができるというのは理解いただけるでしょう。こういったことが私の描く超メディア通信なのです。
ちなみに、この文字と音声の交換という意味では現段階でほぼ実現されているように思われます。音声認識技術と音声合成技術はもう実用段階に入っています。しかし私の言う超メディア通信とは、この2つのメディアに限らず映像と音楽といった非言語同士の交換、またそれ以上の言語と非言語の交換も考えています。最重要となる情報を落とさずに非言語と言語の交換を実現されれば、より身近に国際文化交流が行えるようになってくるでしょう。これを実現させるための土台になる技術として、文章要約技術などに関心が集まっていくように感じます。
私はこの超メディア通信が、これからの情報通信では大きな意味を持ち、また人と人とを身近にしていくものになっていくと思います。


2.家庭内ネットワークの可能性



家庭内LANを構築しているという人はそんなにいないと思いますが、私は構築しています。何故かというとパソコンが複数台あるからです。「何当たり前のことを言っているんだ」とお叱りの言葉を受けるかも知れませんが、繋ぐものがなければネットワークは必要になりません。つまり家庭内LANが普及するためには、家庭に複数台のパソコンが普及することが前提条件と考えることができます。かといって、家庭に一台から一人に一台の時代になったからといって、家庭内LANが普及するとは単純には考えにくいと思います。なぜなら、これだけ携帯電話が普及していても、携帯電話で家族と話すことが極端に多いとは考えにくいからです。家族同士でe-mailを交換することがそんなに多いとは考えられません。そこで家庭内LANがどのような場所に生かされていくかと考えると、パソコンに限らない家庭内にあるもの同士の通信に生かされていくと考えられます。
家庭にあるもの同士の通信、これは既に現在の生活の中にもあり、理解しやすいものだと思われます。多分多くの人が気づかないうちに、これの恩恵を受けていて、これからも意識しない内に家庭に入っていくものだと思われます。
現在の家庭の中にあるもの同士の通信の例としては、「火災検知器と電話」のように、火災検知器がけむりを検知したらそれを電話に連絡して、電話が消防センターに通報するといったものや、「電気とドア」のように、ドアの開閉によって、電気照明のスイッチがついたり消えたりするものなどがあるかと思われます。
こういった例を挙げると、簡単なことで、少しも未来のことではないように感じられるかも知れません。さらに、こういったもの同士の連携をLANと呼ぶのが滑稽に感じられるかも知れません。しかし、家庭内にある全てのものの連携を果たすことができれば、かなりの利便性を得ることができるでしょう。想像を超えたような意外な利便性が得られるかも知れません。そのためには、もの同士が連絡を取り合えるように、それぞれが交換する符号(プロトコル)を統一しなければなりませんが、現在そういった技術として具体的な名前が挙がってきています。
このような家庭内LANは、家庭統合管理システムと呼ぶ方がしっくりくるかも知れませんが、単に利便性ということもありますが、そのような利便性は何も楽をするという方向だけでなく、身体障害者や老人やけがをしている人が自力で生活をするために大きな役割を果たすようになる可能性を持っていると思われます。


3.パーソナルコミュニケーション



現在爆発的に普及している携帯電話をはじめとして、PDA、ノートパソコン等携帯型の端末は、パーソナルコンピュータ以上にパーソナルなコミュニケーションツールとして世の中に受け入れられています。実際に携帯電話を持とうという人の多くは、何処でも通信できると言うことの他に、自分個人の電話番号がもてると言うことに魅力を感じているかと思われます。そこで私は、モービルツールが移動体と言うことも含めて、パーソナルコミュニケーションツールとして発展していくのではないかと思います。
現在のモービルツールは、携帯電話、PHS、ポケットベル、電子手帳、PDA、ノートパソコンなど様々な形をしていてそれぞれがそれぞれの目的で使われています。しかし、こういったものは将来的には統合されていき、それによって新しい可能性を生み出していくと考えられます。現にNTTDoCoMoが携帯電話とPHSのハイブリッド端末を発表したと言うこともありますが、こういったモービルツールはそれぞれ単独で使用するよりも統合されている方が多くのメリットが得られるはずです。具体的には文字メッセージの送受信が可能な携帯電話・PHSが良く普及していますが、文字メッセージの受信に関してはポケットベルにはかないません。また、ポケットベルや携帯電話の文字メッセージで送られてくる情報を、わざわざ電子手帳やノートパソコン上のPIMソフトに入力し直すという作業も面倒なものです。もしも、これらが連携されていればデスクトップのパソコンへのデータ転送も楽に行えるかと思います。
次に、モービルツールはパーソナルコミュニケーションツールとして、クレジットカードや電子マネーと連携されることも考えられます。クレジットカードは単なる磁気カードなので、現在の自分の利用状況などを把握しにくい面があります。電子マネーの場合それはだいぶ改善されているようですが、そういった面があることは確かです。またもっと言うならば、現金で支払いをしていたとしても、自分の金銭の使用状況が曖昧になってしまうことは多々あるものです。しかし、そういった電子マネーやクレジットカードの機能をモービルツールに内包、または連携しているとすれば、金銭出納管理ソフトと連携させることで、自分の金銭を自己責任に基づいてしっかりと管理することが可能になるのではないでしょうか。
このように、私は現在の移動体端末が、それぞれの端末の機能を統合、またそれ以外の個人的に利用する何かと連携していくことで、個人個人が自分を良く把握しコミュニケーションしていく為の道具として発展していくのではないかと思います。


さて、ここまで導入として大まかに私の考えを述べてきました。しかしこれだけでは私がどういった未来を描いているのか把握するのは困難かと思われます。そこで、この章以降で更に掘り下げていこうと思います。それではしばらく私の描く世界におつきあい下さい。




2.超メディア通信



ここでは、私がマルチメディアの次として提案する「スーパーメディアコミュニケーション」について述べていこうと思います。超メディア通信とは「メディアの枠を越えた通信」のことで、今まで音声は音声、画像は画像、といったような形でしか通信できなかったものをその枠を越えて通信することで発展していく、新しい情報通信の形として考えているものです。これの実現にはどういったことを考えなければならないか、またこれが実現されれば世の中にどのような影響を与えるか、など広い視野で考察していきたいと思います。


1.超メディア通信概観



ここでは、私の考える「超メディア通信」というものが一体どういうものなのかということを考えていきたいと思います。もちろん、何度も繰り返すように超メディア通信とは「メディアの枠を越えた通信」通信のことなのですが、それだけではどういうものなのかをつかみにくいかと思われるので、ここで改めて説明していきたいと思います。
まずここでは、超メディア通信をイメージからとらえてもらうために、図を使って説明します。以下の図では簡略化のために「文字」「音声」という二つのメディアのみについて触れていますが、もちろん「映像」「音楽」といったような他のメディアもこの中に入れて考えてみてください。
単メディア通信とは「一つの情報を一つのメディアを用いて伝えること」で、ここにあげた図(fig.1 Singular Media Communication)は、単メディア通信のイメージ図です。この図から見てわかるように、単メディア通信では「文字」は「文字」として、「音声」は「音声」として、単独でそのまま通信します。具体的にこの形の通信としてあげられるものは電話・ラジオなどがあり、アナログの通信に多くみられます。

この形の通信の特徴としては、文字だけ、音声だけ、などを扱うので比較的通信量が少ないということがいえます。言い換えると、マルチメディア通信に比べて高速な通信が可能になるわけです。
しかしながらこの通信の欠点としてあげられることに、相手にわかりやすく情報が伝えにくいということがあります。たとえば普通、人と人が出会って話をするとき、人は言葉だけを使うわけではなく身振りや手振りなどを交えて会話をします。そしてその身振りや手振りによってコミュニケーションを円滑にするわけです。しかしながらこの単メディア通信では、そのように複数のメディアを用いてコミュニケーションをとることができません。このように、単メディア通信ではわかりやすく情報を伝えることが難しいと言えます。
次に、マルチメディア通信とは「一つの情報を複数のメディアを用いて伝えること」で、ここにあげた図(fig.2 Multi Media Communication)は、マルチメディア通信のイメージ図です。この図から感じられるかと思いますが、マルチメディア通信では一つの情報を伝えるときに、「文字」「音声」といったような複数のメディアを統合した形で用い通信を行います。具体的には、テレビなどが「映像」と「音声」によるマルチメディア通信といえますが、2つ程度のメディアを統合したものがマルチメディアと呼ばれることはあまりありません。

この通信の特徴としては、複数のメディアによって情報を通信するためにわかりやすく物事を伝えられると言うことがあります。視覚・聴覚などの様々な感覚に対して情報を訴えかけることができるということが、そのもっとも大きな理由だと思われます。
次にこの通信の欠点としては、通信量が多いと言うことがあります。これは、一つの情報を伝えるために、複数のメディアを用いるためにそのメディア数分だけ通信量が増えてしまうからです。これに対しては、光ファイバーで各家庭をつなぐという計画(Fiber To The Home)や、様々な情報圧縮技術の開発などで徐々に解決されていくと考えられています。
しかしマルチメディア通信の欠点としてさらに考えられることがあります。それは、視覚・聴覚などに同時に訴えかけてくる情報であるために、「文字」「音声」などの特性を生かした情報の送受信ができないということがあります。具体的に言うとするならば、歩きながら電話をかけることはできるが、歩きながら手紙を書くのは難しいというようなことです。また、手紙は読み飛ばすことができるが、電話で話されることは聞き飛ばしにくいということもそれに当たるかと思います。このようなことがマルチメディア通信を利用する上でのネックになっているかと考えられます。
最後に、超メディア通信とは「一つの情報をメディアの枠にとらわれずに伝えること」で、ここにあげている図(fig.3 Super Media Communication)が、超メディア通信のイメージ図です。このイメージからも超メディア通信が、「文字」や「音声」といったメディアに縛られずに通信を行うことだと感じられるかと思われます。具体的には、電報が超メディア通信だということができるかもしれません。つまり、「115」に電話して「音声」で申し込んだ電報が、「文字」で相手先に送り届けられるからです。しかしこのようなものだけでなく、広いメディア間の枠を取り払って通信が行えるようになっていくべきだと思われます。

さてこの通信の特徴としてあげられることに、メディアの枠を越えて通信が行われるために、情報の発信者・受信者がともに、そのメディアの特性を生かした通信ができると言うことがあります。「音声」というメディアは移動しながらの通信に適したものであり、「文字」というメディアは移動していない時に適した通信手段で、読み飛ばすということができるという特徴も併せ持っています。このように、メディアにはそれぞれの特性があるので、その特性を生かして通信を行うことが適しているかと思われます。しかし、情報の発信者と受信者が、同じ特性を必要としているとは限りません。たとえば、情報の発信者が「移動している」状況で、それに反して受信者側は「音を出せない状況にいる」場合も考えられます。このような場合には、メディアの枠を越えることが非常に有用になってくると思われます。
このようなことを実現するためには、文章読み上げ技術・音声認識などの技術が重要になってくると思われますが、もちろんここに挙げた例としては「音声」「文字」のみでそれ以外のメディアについてもその枠を越えていくことで様々な可能性を見いだせるかと思われます。たとえば「映像」と「音楽」の枠を越えることや、音声・文字といった「言語」と映像・音楽といった「非言語」の枠を越えて、理性と感性が触れ合うことができるようになると言うことについても関心のあるところです。
さてこれまでが超メディア通信についての概説になりますが、私はなにも単メディアやマルチメディアが必要ないと言っているわけではありません。現在かなり実現されてきているそういったものに、超メディアという情報通信手段を加えることが、非常に有効なのではないかと提案しているのです。これまでで、私の描く超メディア通信というものの概観がわかったかと思われるので、これからより具体的にその世界を提案していきたいと思います。


2.超メディア通信に関する提案



音声と文字を越えて



さて第一の提案としては、今までの文章の中でも少し触れてきましたが、音声が持つ特徴の中で「文字のように読み飛ばすことができない」「保存に適さない」といった特徴を超メディア通信によって克服していくと、具体的にどのような世界が広がるのかと言うことに触れてみたいと思います。


まず一つのアイデアとしては、現在ほとんどの携帯電話に内蔵されている文字メッセージ機能をどのように変えていくかを考えてみたいと思います。まず最初に私が思う現在の携帯電話の問題点をいくつか提起してみたいと思います。


うるさすぎるところでは、通話がしにくい。
静かすぎるところでも、通話がしにくい。
数字などが、聞き取りにくいことがある。
文字メッセージの入力が煩わしい。
留守番電話に入っているメッセージを聞くのが面倒。
さて、ぱっとこのような問題点が思いつきましたが、この問題点を解決するためには超メディア通信が有効だということはおわかりいただけるでしょうか?
1.に関して言うならば、携帯電話で通話しているときに周りがうるさすぎて相手の声が聞こえなかったら、相手の声を文字に変換して読むことができれば周りがどれだけうるさくても気にせずに通話をすることができます。こちら側の話をどう伝えるかについては、文字入力を利用する方法もあるでしょうし、電話に思いっきり近づいては話せば相手のところには充分聞こえるでしょう。
つぎに2.に関しても同様のことが言えます。静かにしなければならないならば、相手の言葉は文字で、こちらの声も受話器に思いっきり近づいて小声で話すか、文字入力を利用するのが有効でしょう。
さて、3.はわかりやすいと思いますが、数字などは話し手が話した時点で音声としてではなく文字に変換しておいてそれを聞き手に伝えれば、それが誤って聞き手に伝わることは考えにくいでしょう。ただしこの問題に関しては、携帯電話の通話品質が向上すれば、解決する問題だとは思います。
4.は説明するまでもないでしょう。文字メッセージを音声で入力できれば、かなりの手間が省けるはずです。
5.についても今まで書いてきたように、文字に変換しておくことで要点だけを見ることができるようになり、時間を確認するためだけに留守番電話のメッセージを最初から聞かなければならないというようなことが無くなるでしょう。このようになってくると携帯電話は、文字メッセージと留守番電話を上手に併用することで、かなり便利なコミュニケーションツールになるのではないでしょうか。
さて、ここまできてなぜこの超メディア通信を固定電話でなく携帯電話に適用しようとするのか疑問に思われるかもしれません。その理由は、携帯電話はどこで使われるかわからないということです。つまり、固定電話の場合は周りがうるさい状況もありますが、その場合にしてもその電話の周りがうるさいと言うことは話し手も聞き手もわかっている場合が多いです。しかし携帯電話の場合は、電話を受けるときどのような状況かは予測できないことが多いです。その状況を吸収するために、音声や文字といったそれぞれの特性を生かすことが有効だと思われます。このように少し違った観点から携帯電話を発展させることは、少し違った意味で通話エリアを広げていくかもしれません。
次の提案としては、携帯電話や固定電話などの機能としてではなく、超メディア通信の生かし方としての提案をしてみたいと思います。音声と文字を越える、メディアの特性を生かして通信を行う、ということは、目や耳が不自由な方々にとって非常に有用であるということは、容易に予想できると思います。しかし、それが有用、便利だということ以上に人と人のコミュニケーションを変えていく物だと感じることができるでしょうか?
たとえば単純に、目の不自由な方と耳と声の不自由な方がいたとして、この二人がコミュニケーションをしようとすれば、どういった方法があるでしょうか? 多分二人の間に、目や耳が不自由でない人を挟んで会話を仲介することを思いつくでしょう。そして超メディア通信を用いると、仲介する人が必要でなくなるので便利だと感じるでしょう。しかし、ここでもっと深く仲介する人が必要でなくなるということの意味を考えてみましょう。間に第三者を挟まなければ、二人だけの秘密の話をすることができます。この二人だけの会話ができると言うことが、どれくらい人間関係を変えるでしょうか? 二人だけの会話ができれば、より深い友情だって生まれるでしょうし、専門家同士ならば人の仲介を挟まずに直接対話することで円滑に共同研究が行えるでしょう、また二人だけで会話ができるとすれば恋愛感情も生まれやすいかもしれません。
どうでしょうか、超メディア通信によって思いもよらないところで新しいコミュニケーションが生まれるかもしれません。数年先、貴方が何も知らずにメールしているメールフレンドが実は目の不自由な人かもしれません。


映像と音楽を越えて



さて次に提案するのは、映像と音楽を越えてコミュニケーションを行えるようになればどういったことが実現できるかと言うことです。映像の長所としてはまずなんと言ってもわかりやすいと言うことがあげられると思います、しかしその反面データの大きさが大きくなってしまうという短所も併せ持っています。そして音楽の持つ長所は、ウォークマンのようなポータブルオーディオによって、ながらで楽しむことができる、ということがあげられます。それでは、このようなそれぞれのメディアの特性を生かした通信が実現されるとどのような世界が広がるのかということを提案していきたいと思います。


まず第一に考えられることとしては非常に安易な考えかもしれませんが、ウォークマンで音楽を聴くように、電車の中で映像を聴くという世界の実現です。実際に映画や環境映像のような映像メディアは、ソフト制作にかかるコストが非常に高いかと思われます。にもかかわらず、視聴者にとっては映像は音楽より繰り返して使用するのが難しい物です。そのために、映像メディアであるDVD(-VIDEO)やLDやビデオは、音楽メディアであるCD(-DA)に比べて、少なくならざるを得ないと言う現状があり、また買い手としてもDVD(-VIDEO)よりCD(-DA)に手が出やすいと言うこともあります。そこで、超メディアによって映像と音楽の枠を越えれば、映像メディアのソフトも「ながら」によって何度も楽しむことができるので、買い手の映像メディアに対する、楽しめる時間の割には高いという印象が払拭され、より映像メディアが世の中に広がるのではないかと考えられます。また、映像ソフトを一度映像として楽しんだ後に、音楽として楽しむ事ができれば「ながら」や「目をつむりながら(あるいは半分寝ながら)」、映像によって得た感動を再確認することができるかと思います。これは、映画を見た後にサントラでその映画の音楽を聴けば、その映画のシーンを思い出すことができるというフィーリングに似たものだと思われます。


さて次に提案するアイデアは、音楽と踊りを結びつけるというものです。どんな音楽でも、取り分けのノリのよい音楽の場合は体を動かして、音楽を楽しもうとするものです。そこで音楽と体を動かすという映像(影像?)を結びつけることで、どんな音楽でも、このようなメディア交換によって人の体の動きに変えてしまうことができれば、またこの交換時にどの程度の体の動きかを指定して変換を行うというようなことを行えば、誰でも簡単に音楽を体を動かすことに変えて楽しむことができるのではないかと思います。このように音楽を体を動かすことに変えることは、リハビリの現場などでも生かすことができるのではないかと考えられます。また今度は逆に、踊り(体の動き)を音楽に変えることができれば、楽器を弾くことができない人、譜面の全く読めない人、耳の聞こえない人、口をきくことができない人でも自分のイメージした音楽を作曲できるようになるかと思われます。


言語と非言語を越えて



さて、最後に音声や文字のような「言語」と映像や音楽のような「非言語」の壁を超えるとどのようなことが実現するかを考えてみます。言語の特徴としてあげられるものには、(非言語に比べれば)明確に物事を伝えることができるということがあります。逆に非言語の特徴としては、(言語に比べれば)国や民族の違いなしに通信ができるということがあげられます。こういったメディアの枠を越えることで、このような特徴を存分に生かすことができるようになるかもしれません。


さて、ここまでメディアの枠を越えるということは実際イメージしにくいことかもしれませんが、じっさい音楽と音声が融合したものに歌というものがあります。詞が先にあるか、音楽が先にあるかは別として、歌というものは時折、詞と音楽がそれぞれ単独の形で世の中に存在し、詞が音楽を、音楽が詞を呼び起こすことがあります。ある一つの詞に複数の人が音楽をつけたとすれば、それぞれの音楽が一つの音楽になるということは考えにくいことです。しかし、それぞれがイメージが全く(逆説的な意味の取り方すらせず)違うものになるということも考えにくいことかと思われます。そういったことからも、何らかのイメージ(=物事の本質)を保存したままメディア交換をすることで、言語という堅苦しいものを通さずに物事を伝えることができるようになるのではないかと感じます。また、言葉を解さないことで、言葉を越えて(国境や民族を越えて)物事を伝えあうこともできるようになるのではないでしょうか。


ここまでの話の中で、私の提案する超メディアというものが、非常に非現実的なものだと感じられたかもしれません。おそらく、そういった感じ方をした人は、たとえばメディアAからBに交換したものを、BからAに交換し直すと、全く同じものに戻るというようなことをイメージしているのではないかと、私は推測します。これまででも何度か繰り返してきましたが、超メディアでのメディア交換は本質(=漠然としたイメージ)を交換することで、厳密に物事を双方向に交換することは考えていません(特に言語と非言語の場合は)。今までに書いてきたことを実現するには、なにもかもを厳密にメディア交換していかなくても実現することはできると考えています。こういったことも考えて、私の描くこの未来に共感できるという方は、どうぞ私と夢を共有しましょう。それではここで、超メディアに関する提案を締めくくらせていただきます。


3.超メディアの実現に関する提案



さて、超メディアに関する話題も最後になりました。ここでは超メディアを実現するための考え方を提案してみたいと思います。今までの話の中から「音声合成」「文章読上」「音声認識」といった技術などが有効であると言うことは用意に予想できるかと思います。しかしここでは、そういった個々のメディアに対応する技術ではなく全体的なメディア交換を行う上での考え方を提案していきたいと考えています。


具体的にどういった提案なのかということの前に、その提案の参考にできそうな考え方・技術として、「自動翻訳」について簡単に説明します。あくまでも参考になると思われる部分に簡単に触れるだけなので、関心のある方は専門の文献を参照してください。ここでは主に、「自動翻訳」の直接変換方式と中間言語生成方式の特徴と考え方の違いについて触れていきます。
自動翻訳の方法として代表的なものには、直接変換方式と中間言語生成方式というものがありますが、まず直接変換方式について述べたいと思います。直接変換方式とは、元の言語(の文章)をそのまま翻訳しようとする言語に変換する方式です。この方法のイメージが右の図(fig.4)ですが、この方法は元の言語の正射影をとるような形で、別の言語に翻訳すると考えてもらえればいいかと思います。具体的に言うならば、日本語での「りんご」は英語で「Apple」となる、といったような感じに直接的に、言葉を置き換えていくようなものをイメージしてもらえるとわかりやすいと思います。但し、当然のことながら、言語によって異なる語順や文法や慣用表現といったものもきちんと考慮しながら変換を行っていきますので、その辺は誤解のないようにお願いします。

ところで、この方法の特徴として上げられることに、構文などが似ている言語の翻訳は正確でかつ変換速度も速いと言うことが上げられます。たとえば極端な例としては、関東弁と関西弁の変換などは、直接文末の言い回しや単語などを変換するだけで、かなり正確に翻訳できるでしょう。また、プログラミング言語同士の変換なども、この方法を用いてかなり正確に行えています。しかし、この方法の欠点としては、別の言語に言い換えにくい表現などが現れる場合(英語のyouを日本語に翻訳する場合は単数形か複数形かわからない)に、例外的な処理を行わなければならなくなったり、またせっかくそのような場合に対応する翻訳手段を開発しても、ほかの言語同士の翻訳に応用しにくい(体系化し直さなければならない)というような欠点があるかと思われます。
次に「中間言語生成方式」についてですが、この方法は元の言語を一度中間言語と呼ばれる抽象言語に変換し、その抽象言語からもう一方の言語に翻訳するという方法です。こちらの方法も左の図(fig.5)にイメージしてみました。この方法は元の言語を一度、抽象言語の形に正射影をとり、その影から別の言語を生成するようにイメージすればよいかと思われます。具体的にこの方法では、日本語での「りんご」を中間言語に変換し、たとえば「1234」となったとする、その「1234」に対応するものが、英語では「Apple」となるので、「Apple」に変換する、というような感じに翻訳を行います。さらにこの方法では、その「1234」をフランス語の「pomme」やドイツ語の「Apfel」やスペイン語の「manzana」に変換することも考えられます。

ここまでの説明を読んでくると中間言語生成方式による翻訳は、大変優れているように感じられるかもしれませんが、この方法は単純に考えても直接変換方式の2倍の手間がかかります。また非常に似通った言語同士での翻訳を考えると、一度中間言語に置き換えるために、翻訳の精度が落ちてしまうことも考えられます(伝言ゲームのように文章に手を加えれば加えるほど元の文章から遠ざかってしまうという事です)。逆にこの方法の長所としては、英語と日本語というように両方の言語を知らなくとも、中間言語の表現体系さえ把握しておけば、中間言語と諸言語の交換アルゴリズムを作ることができるので、翻訳技術を体系化できるという利点があります。しかし、現状では相当無理があることも事実ではあります。
ここまで自動翻訳について述べてきてこれがどのように超メディアに生かすことができるのかという疑問を持たれたかと思います。私はこの考え方のうち中間言語生成方式を超メディア通信の実現のために生かすことができるのではないかと考えています。


さて超メディア実現のために、私はメディアから意味を抽出して、それをさらに別のメディアへと戻していくという方法を用い、それを体系化していくことが有効であると提案したいと思います。たとえば、言葉での「りんご」を意味化し「1234」となります。そして映像の場合は、その「1234」に対応するものとして「りんごの映像」を用意します。この手順を追って「りんご」がメディアを越えて交換されることは単純にわかるかと思います。しかし単にこういった手順だけを定義するとしたならば、直接メディア交換を行うことと何ら変わりありませんし、またすぐに交換できるメディア同士とできないメディア同士が発生してしまうので超メディアの有用性が失われてしまいます。
そこで私は、その中間言語の「1234」自身が「形・色・味・臭い・触れた感じ・用途・値段・よく見かける地域.....」といったような情報を持っていて、メディアと中間言語との交換は「1234」という符号ではなく、その符号が持っている情報を分析する形と、メディアが語ろうとする事を情報化する形で交換を行っていけばいいのではないかと思います。この方法を用いると、どういったメディアであろうともそれが語ろうとする情報が何であるかわかれば抽象言語化する事ができ、その抽象言語が表現しようとすることを様々なメディアを用いて表現することも可能になるのではないでしょうか。


以上が私の提案する超メディア実現のための考え方ですが、この方法は感づいた方もおられるかとは思いますが「オブジェクト指向」の考え方です。「オブジェクト指向」という考え方は、「分類法」が先に分類される規則を持っているのに対して、それぞれのものが持つ情報を主体にするという考え方(つまり個を尊重する考え方)ですが、この考え方は情報や通信といった分野に限らず、すべての物事を考える上で、非常に有効な方法ではないかと思います。関心を持った方は是非、オブジェクト指向の書籍に目を通してみてください。ところで、すべてのメディアの情報を中間言語と言う形を通じ交換するという一見個を無視したような発想が、個から考えていくオブジェクト指向を求めるというのは異様な感じがするかもしれません。しかしそういったグローバルな考え方であるが故に個が大切なのではないでしょうか。この考え方をすれば、今までそのメディアに存在しなかったような表現を、そのメディアが受け入れることができるようになるかもしれません。




3.FA、OA、HA



それでは、家庭内ネットワークに関する話題に移りたいと思います。家庭内ネットワークというと家に複数台のパソコンを持っている人だけの話に感じられるかもしれませんが、私は家庭に存在するすべてのものがそのネットワークに参加する事ができ、またそのネットワークに参加することで、そのもの自身が新しい可能性を発揮できるのではないかと感じます。家庭内にネットワークなんて必要あるのかと否定的な見方をする人がいたとしても無理もない話かもしれません。しかし実際にFA(ファクトリー・オートメーション)が、OA(オフィス・オートメーション)という小さな環境にシフトしました。これからはさらにHA(ホーム・オートメーション)へとシフトしていったとしても何も滑稽な話ではないと思います。ここでは家庭内通信がどうのような発想で広げられていくのが有効なのか、それによってどういったことが得られるのか、ということについて追っていきたいと思います。


さてここでは、私が人間のよりよい生活とコミュニケーションのために有効だと考える家庭内通信の形を紹介していきたいと思います。私は、これからのネットワークは「インフォメーションエクスチェンジング・システム」という形へと発展していくのではないかと考え、さらにそれが家庭内通信でもっとも有効に機能するのではないかと考えています。それではここから、今まで用いられてきている「ホストコンピュータによる集中処理」と「クライアント・サーバによる分散処理」、そして私が家庭内通信で最も有効に働くと考える「インフォメーションエクスチェンジング・システム」について触れていきたいと思います。
まず最初に、工場などでもっともよく用いられる「ホストコンピュータによる集中処理」について簡単に触れてみたいと思います。この方法は、中央におかれるホストマシンがすべて端末を制御する方式です。この方法ではすべての処理を中央のホストコンピュータで集中的に処理します。そのため、それぞれの処理においてほかのホストとの通信を考える必要がないので処理が簡単になると言う利点がありますが、一ケ所で集中的に処理するために負荷がかかり過ぎ処理がままならなくなる危険性がある事や、ホストマシンでトラブルが起こったときにすべてのシステムが停止してしまうという危険性も伴います。またシステムを入れ替えるときには、中央のシステムを一度に入れ替えなければならないので一度に非常に大きな出費を強いられるという問題もあります。

このような問題点を解消するために、「クライアント・サーバによる分散処理」というものが注目され始めました。主にオフィスでは、従来の「ホストコンピュータによる集中処理」から「クライアント・サーバによる分散処理」へと変化していきました。この流れを俗に「ダウンサイジング」といいます。
それでは、「クライアント・サーバによる分散処理」とはどういったものであるかということにうつりたいと思います。この方法は集中処理に対し、いくつかのサーバと呼ばれるコンピュータで分散して処理を行い、それをネットワークで結合して一つのシステムとして処理を行う方法です。この方法ではいくらかのサーバコンピュータで分散し、ある処理を行います。そのために、この方法では一つのコンピュータに負荷が集中すると言うことは少なくなります。また、一つのコンピュータですべての処理を行う必要性はなくなるので、サーバコンピュータは集中処理のホストコンピュータほど高速・高性能なコンピュータでなくともかまいません。またトラブルであるサーバが停止してしまった時でも、集中処理の場合の様にシステム全体が停止してしまうと言うことはありませんが、そのサーバが担当しているサービスに関しては停止してしまいます。

このように、集中処理やクライアント・サーバによる分散処理においては、ホストやサーバコンピュータが停止してしまった場合に、それが少なからずシステム全体に影響を与えてしまいます。そこで私は、家庭内ネットワークの構築に関しては「インフォメーションエクスチェンジング・システム」を提案したいと思います。このシステムはネットワーク上にあるすべての機器が、自分の振る舞いをネットワーク上に流し、その振る舞いを受け取った機器がそれぞれに判断しそれぞれの振る舞いを起こすというシステムです。このシステムにおいては、すべての機器が情報の発信者であり、受信者になります。このようなシステムでは、ある機器が故障を起こしたとしても、ほかの機器への影響は最小限ですみます。家庭内でのネットワークでは、そこに組み込まれるものはいわゆるパソコンのようなコンピュータだけでなく冷蔵庫・洗濯機・テレビ・電話・コンポ・照明・扉・窓・ブラインド・冷暖房器具・水道・ガス.....といったありとあらゆるものになるでしょう。もしも、一つのコンピュータでこれらのものを集中管理したとすると、ホストコンピュータの故障で家のすべての機器が誤動作を起こすという危険性があります。またクライアントサーバシステムを用いたとしても、たとえば冷暖房を担当するサーバコンピュータが故障を起こせば、すべての冷暖房機器は誤動作を起こします。しかし、それぞれの機器の振る舞いをネットワーク上に流し、単純にそれぞれの機器の情報交換を行っているだけだとすれば、ほかの機器への影響は最小限に押さえられますし、誤動作を起こしている機器をネットワークから外してしまえばネットワークには何も影響を与えなくなります。このように私は家庭内ネットワークでは従来のサービスを与えるものと受けるものという、上下関係のネットワークではなく、単に情報を交換しあうというネットワークが有効なのではないかと考えています。
「インフォメーションエクスチェンジング・システム」は、このように単純に情報交換だけをしあうネットワークですが、このような仕組みでは様々な機器をネットワークにつなぐ意味が薄れてしまうのではないかと考える方もおられるかもしれません。しかし、このシステム上のそれぞれの機器は、ほかの機器の指示を受けて動く事はないにしても、ほかの機器の情報を元に自分で判断して動くので、ネットワークに様々な機器を組み込む意味は大いにあると思われます。具体的に言うならば、温度計が非常に高い温度を指しているという情報をネットワーク上に流したとします。その情報をストーブが知ったとしますが、ストーブは動作していないので、ストーブが動作していないと言う情報を流します。次にクーラーがその情報を得たとします、そのときストーブが動作していないと言う情報を同時に得ることができるので、クーラーが作動します。このように、温度計はほかの機器に対して何の指示も出していませんが、クーラーやストーブはそれぞれ、ネットワーク上にある情報を元にそれぞれで判断して的確に動作することができています。「インフォメーションエクスチェンジング・システム」では、それぞれの機器は、ほかの機器に対して指示も出さない上に指示も受けないので、ある意味で独立しています。それによって、生活に密着した形でのネットワークに要求される故障による被害を最小限に抑えると言うことと、ネットワークされることによって得られる有益性を殺さないことを実現できるのではないかと考えられます。


さて、「インフォメーションエクスチェンジング・システム」がどういうものかをだいたい把握することはできたかと思います。次はこのシステムに特徴である、情報を流すだけという点に注目して、どんな機器からでも情報を流すことによって、どんな機器に対しても自分の要求を発することができると、どのようなメリットが得られるのかと言うことに触れたいと思います。具体的な話から入るとするならば、たとえば部屋が暑いとします。そのとき人間はあついと言うことを、ネットワークにつながれている何かに伝えます。まずこの時点で自由度が非常に高いと言うことがわかるかと思いますが、この時に人間は、テレビのリモコンでも電話でもパソコンでも何に対してでも、暑いと言うことを伝えればいいのです。そうすれば、窓・ストーブ・クーラー・扇風機などが自分たちで、もっとも適切だと思う処置をしてくれるでしょう。
この時の人とネットワークをつなぐインターフェイスは、テレビのリモコンでも電話でもパソコンでも何でも構わない、自分がもっとも使いやすいもので構わないと言うことです。これによって単純に便利であると言うだけでなく、寝たきりの老人であっても枕元に電話一本あれば家庭内ネットワーク上のものをすべて自分で制御できると言うことになるわけです。寝たきりになったりけがを負ったりしたときには、日常使わなかったものを使わなければならなくなったりしますが、こういったものは特に高齢の場合など簡単には使い方を覚えられません。しかし、このようにネットワーク化されていれば、今まで使っていた道具と同じ様な感覚でそのような道具を扱うことができます。これによって、寝たきりになったりけがを負ったりしても、自分の力で生活をすることが少しでも容易になるのではないかと考えられます。このように、どんな機器からでも自分の要求を発することができることで、家庭内のすべての機器は人に優しくなれる可能性を持っていると考えられます。
次に、どんな機器に対しても要求を出すことができるという点に注目したいと思います。先ほどの例では、人は暑いという意志を示しただけです。ここでその情報を受けて反応しようとする機器は窓・ストーブ・クーラー・扇風機など様々なものがありますが、人間がふと暑いと思ったときにどの機器を用いれば最も有効に快適を得られるかということは、人間が考えて的確に答えが出せるとは限りません。暑いのでクーラーをつけて涼しくなったと思い、その後で家の外にでてみると家の外の方が涼しかった。というようなことはよくあることかと思われます。そういったときに、こういった機器がネットワーク化されていれば、家の外にある温度計の温度なども考慮し、最適な方法で涼しさをもたらしてくれるでしょう。このように、家庭内にある機器のネットワーク化は人間の利便性だけでなく、省電力などの資源の有効活用にも役立てることができるかもしれません。


ここまででは、「インフォメーションエクスチェンジング・システム」が生活に何をもたらすのかについて触れてきましたが、ここからはこのシステムが実現しやすいシステムであるということを述べたいと思います。一般にネットワークシステムというものはネットワーク上のすべての機器が同じ符号(プロトコル)で交信していなければならないので、その規格を策定するのに、莫大な時間と費用がかかります。しかしながら、このシステムは単純にその機器の情報をネットワークに流すだけなので、その符号の規格の策定にはさほど時間を要しないのではないでしょうか。またその符号化の規格が古くなったので、新しい規格に変更しなければならないと言うことも余り起こらないのではないかとも思います。こういった事からも私はこの「インフォメーションエクスチェンジング・システム」を提案したいと思います。それでは以上で、この提案について締めくくらせていただきます。




4.モービルツール



この章のタイトルは、パーソナルツールの方が正しいのかもしれません。そのように現時点でパーソナルツールとして広く普及しているモービルツールの未来をここで考えてみたいと思います。モービルツールはその名の通り持ち歩くためのものです。そしてそれと同時にパーソナルツールです。モービルツールは持ち歩くものであると同時に(言うなれば当たり前のことかもしれませんが)個人個人のための道具として広く受け入れらてきています。ここではそういった二つの面からモービルツールの未来を見つめたいと思います。


それではまず、携帯機器としてのモービルツールを考えてみます。携帯機器としてのモービルツールとして最も大切なことの一つが小さいこと・持ち運びやすいことです。そこで、これからのモービルツールはネットワークシステムが分散化していることに反して、統合化されていくのではないかと考えられます。実際に出先で様々な情報を扱おうと思えば、余りにもたくさんの携帯型情報通信機器を持って行かなくてはならない現状があります。またモービルツールは、持ち運びのための形状のためにその中の情報を家庭・職場内の機器と共有しにくいと言う点も持っています。そういった点を解消するためにも、通信機能を持ったモービルツールと他のモービルツールが統合化されることは重要になるのではないでしょうか。
具体的な提案に入る前にここで、家を出るときに持っていく物を考えてみましょう。「携帯電話・PHS・ポケットベル・財布・定期券・お金・免許証・テレホンカード・図書館カード・キャッシュカード・クレジットカード・病院の診察券・いろいろな店のポイントカード・いろいろな店のメンバーズカード・ハンカチ・ちり紙・家の鍵・車のキー・手帳・ペン・眼鏡・ヘッドホンステレオ・電卓・フロッピーなど」と普段持ち歩く物だけでも非常にたくさんの物があります。もちろん毎朝こういった物を一つ一つ鞄やポケットに入れていくわけではありません。ふつうお金などは常に財布の中に入っています。このようにたくさんの物を一つにまとめると言うことは今まですでに実践されていることで、これと言って今までと何ら変わることがないと考えられるかもしれません。しかし、これまでの物をまとめると言うことは持ち歩きやすくするということのみが目的であり、統合化ということにはあまり結びついていないかと思われます。しかしここでは、今までバラバラに持ち歩いていたモービルツールを一つにまとめ、それぞれが連携を行うことで新しい利便性を得ることができる、というモービルツールの統合化ということに注目しています。それでは、そういった点に関する具体的な提案に入っていきたいと思います。
まず第一に「統合化手帳」を提案したいと思います。と、言うと大部分の人は「また手帳かぁ」とうんざりするかもしれません。実は私もこれを提案するのは余り気が進みませんが、携帯している持ち物を統合化するという提案にはこれが最も取っつきやすいかとも思われるので、提案をしたいと思います。「統合化手帳」に「ポケットベル」を加えてみるのはいかがでしょうか。手帳には様々な予定を記録しますが、自分で決める予定以外にも会社や学校などの組織からの連絡で予定が入ることも多いです。そういった連絡をわざわざ手帳にうつすということも手間のかかることです。そこでポケットベルと手帳が連動していれば、そういった予定を写す手間を省くことができます。こういう提案を聞くと電子手帳を思い出される方もおられるかもしれません。そして同時にそれほど普及しなかった電子手帳と同様の物が今更普及すると思えないとも考えられるかもしれません。しかし私は電子手帳が普及しなかった最大の理由は入力が面倒だったということだと思います。個々で提案している手帳は、入力の手間を省くという発想での手帳です。細々とした連絡がポケットベルの文字メッセージを通じて連絡される時代になれば、実は手帳に自分で文字を入力すると言うことが無くなってしまうかもしれません。これが私の描くポケットベルが統合化された手帳です。電子手帳とポケットベルの欠点が相互に補完されることで、新しい利便性が得られるかと思われます。
次に、より広い意味での電子マネーを提案したいと思います。そもそも普段持ち歩いている物の多くにはお金としての機能が含まれています。定期券・テレホンカード・キャッシュカード・クレジットカードなどはまさにお金そのものといっても過言ではありません。こういったお金としての機能を持った物を統合化することによって現在よりも高度なキャッシュレスが実現できると言うことは容易に予想できることだと思います。電子マネーを用いると釣り銭の受け渡しを簡略化することができました。さらに定期券の機能を電子マネーに組み込むんだとすると、乗り越し精算の簡略化を行うこともできます。このほかにも様々な店で受けられる割引などのサービスカードなどの機能を組み込んだとすると、そういったサービスを簡単に受けることができるようになるでしょう。こういった金銭取引に関連する物を統合化すると非常に高い利便性を得ることができるかと思われます。
それではさらに進んで、ここからは移動体通信機器と電子マネーを統合化するとどういった利便性が得られるかについて話を進めたいと思います。電子マネー・キャッシュカードなどを用いて売買を進めていると自分がどれくらいの金額を使ったのかという感覚が麻痺することが多々あるかと思われます。こういった感覚をきちんと持つためには、いつでも自分の所有している金額が把握できる環境を築くことだと思われます。そこで移動体通信機器と電子マネーが統合化されていると言うことが生きてくるかと思われます。さらに、電子マネーが通信機器としての機能を持っていたとすれば、万が一電子マネーを紛失したときに、その通信機能によって迅速にその電子マネーを無効にする事ができます。こういった利便性から、通信機器と電子マネーを統合化することを提案したいと思います。
さて以上で、持ち歩く物としてのモービルツールに関する提案を終えたいと思います。ここまでの提案の中で、バラバラに持ち歩いている物を統合化することで新しい利便性を得られると言うことを感じていただけたでしょうか。「持ち歩いて便利な物」という提案は、情報通信の話でなくとも様々なところで耳にする話かと思われます。また、いろいろな人がそれぞれに固有な物を持ち歩いている、または持ち歩こうと夢に描いていることでしょう。私自身もどういった物を持ち歩けば便利なのだろうかという試行錯誤を続けています。しかしここでは、持ち歩く物同士を統合するという観点でまとめてみました。統合化は広い意味ではネットワーク化とも考えらます。これからは家庭内LANも越えて個人LANの時代なのかもしれません(個人レベルのネットワークをLANと言うのかどうかはさておき)。


次に、個人個人のための道具としてのモービルツールについて考えていきたいと思います。モービルツールが個人個人のための道具として用いられるのに適しているということは「普段持ち歩く物が他人と共有しなければならない物であった場合に不都合が多いということ」と「プライバシーが関わってくる物は持ち歩いてなるべく人に見られないようにしたいという」という2点から考えていけるかと思います。実際にプライバシー・プライベートに強く関わる電話や手紙は、携帯電話やそれに組み込まれたメール機能によって実現され広く受け入れられています。電話を取り次ぐことや、手紙は封を切らずに本人に渡すという事は常識として守られていることとは言え、家族など同居人が個人個人のプライベートに関わってくる事はさけられないと言うことでしょうか。それでは、人が個人の物として用いている物にどんな物があるかということから具体的な提案に入っていきます。
それではまたこちらでも、個人の物として用いている(用いたい)物を上げていきましょう。「電話・住所(手紙・郵便物)・パソコン・AV機器・部屋・化粧品等・衣服・履物・予定表・日記帳・目覚まし時計・歯ブラシ・医薬品など」といったようにいろいろな物が個人の物として用いられますが、人によって個人の物として用いている物は変わってくるかと思われます。さて、そういった物も含めて、いろいろな個人の物をモービルツールとして持ち歩くことができればより高い利便性を得ることができます。とはいうものの、ここに上げた物の中にはとうてい持ち歩くことのできないような物も含まれています。そういった物をどのようにして持ち歩くかということが最も大きな問題になるかと思いますが、前述のような電話番号・住所は携帯電話番号・メールアドレスといった形で実際に持ち歩く事に成功しています。電話番号・住所といった一見持ち歩くことが不可能な物でも、考え方を変えれば持ち歩くことはできるのです。
さて、それでは具体的な提案に移りたいと思います。ここで私が提案するのは「予定表・日記帳」等を持ち歩くことです。というと、日記帳など簡単に持ち歩くことができるではないかとお叱りを受けるかも知れません。しかし、日記帳といえどもつけ続ければ持ち歩くことができないほどの分量になります。それに、予定表・各種のノートなど、様々な自分で作ってきた(書き止めてきた)メモをすべて持ち歩くことができれば、非常に便利です。たとえば、ちょっとした遊びに行く計画を立てるにしても、昨年など数年前の今頃自分が何をしていたのかを過去の日記帳・予定表で確認することができれば、計画が立てやすくなります。また、逆に遊びに行く計画を立てるときに去年の自分が今頃何をしていたのかを調べていと、去年の今頃は仕事が忙しかったと言うことに気づき、遊びに行く計画を立てている場合ではないということに気づくこともあります。現に私は、過去3年ほどの手帳の予定表の欄をパソコンに打ち込んで、それを小さな紙に印刷した物を手帳に挟んで持ち歩いています。このような情報という物は自分以外の人には役に立たない物ですが、自分にとっては非常に役立つ物で、まさにパーソナルツールと相性の良い物です。私は現にこういった物を持ち歩いていますが、もっと多くの(もしくはすべての)自分が作った情報を持ち歩くことができれば、より便利になることは容易に想像できます。そこで、その自分が作ったすべての情報を持ち歩くためにはどうすればよいか。その答えは、情報の電子化とその情報にアクセスする携帯型通信端末が解決してくれます。ホームページを公開するように日記帳のような個人情報をWebサーバに置いておき、それを携帯型通信端末(たとえばiモード対応携帯電話のようなもの)でアクセスして閲覧すれば、さも自分の過去の日記帳をすべて持ち歩いているかのようにできます。もちろん非常に個人的な情報なので、信頼性の高いセキュリティ機構が必要になりますが、そのセキュリティを開発して有り余るほどの、メリットが得られるのではないかと思われます。


それではこれで、モービルツール・パーソナルツールに関する提案を終わらせていただきます。




5.おわりに



これまで自分勝手に自分の思う情報通信の未来について述べさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。これまでの文章で私は、「超メディア」「家庭内LAN」「モービルツール」とバラバラに話を進めてきましたが、これらはバラバラに存在する物ではなく、相互に関係する物だとも思っています。たとえば、「モービルツール」が「家庭内LAN」にアクセスし、家庭内の情報にアクセスすることで、人が家にいなくても、「ガスの元栓をしめる・ビデオの予約をする・冷蔵庫の残り物を調べる」といったようなことが可能になります。また、超メディアのメディア交換を用いれば、その場その場に適した形で情報を取得することができるので、モービルツールの利便性も向上します。そして、家庭内LANに接続されている様々な機器の情報を超メディアを用いて規則的に整理することで、家事も効率的になるかも知れません(節約ができたり、楽ができたり)。このような、それぞれの連携によってさらに高い利便性が得られるということは、通信が人や物に様々な事を運んできてくれるように、当たり前のことかも知れません。通信は、通信の可能性をより高めることができるのでしょう。
ところで、このように情報通信の未来を述べてきましたが、今までは通信によって得られるメリットばかり述べてきたような気がします。もちろん通信によるデメリットは数多くあると思われます。現に情報化社会と呼ばれる社会になった今、マスコミの過剰報道やプライバシー侵害の問題もありますし、音楽・文学などの芸術や文化に関しても世界中がより結びついたために、メジャーでない文化が消えていってしまうという問題もあります。その他にも、よくわからないままインターネットのサービスを利用していて、法外な請求をされるという問題もあるようです。しかし、実はこういった問題を解決するために必要なことも情報通信なのではないでしょうか。情報通信によって自分の身を守る知識を得ることができるし、情報通信によって文化・芸術を振興する事は非常に有効な手段です。また、マスコミに対抗する手段は個人レベルでも不特定多数の人に情報発信ができるインターネットのような情報通信手段なのではないのでしょうか。中にはこういった問題は情報通信がなければ起こらない問題なのではないか、と疑問を持たれる方もいるかも知れません。しかし、人と接することを恐れていては何も始まらないのです。情報通信とは、単に情報を介して人と接しているだけなのです。情報通信とは人と人とのつながりの一つの方法です。人と人とのつながりにはメリットもデメリットもあります。しかし人と人とのつながりとはすばらしい物ではないでしょうか。少なくとも私はそう思います。だからこそ私はこのように情報通信の未来を描いてきました。そしてこれからも情報通信の未来に夢を描いて行くでしょう。


ずいぶんと長い期間にわたってこのエッセイも続いてきましたが、ここで一度幕を閉じさせていただきます。最後になりましたが、冗長な部分や言葉足らずな部分など読みにくい面もたくさんあったと思いますが、最後まで目を通して下さったみなさまに、心から感謝いたします。

1999年7月29日
三上 威


参考文献




  1. 廣松恒彦著「情報処理技術者試験第1種重点ガイド1 情報処理システム(上)」

  2. 廣松恒彦・山口和子著「情報処理技術者試験第1種重点ガイド2 情報処理システム(下)」

  3. 廣松恒彦著「情報処理技術者試験第1種重点ガイド3 ソフトウェア工学と応用知識」

  4. 廣松恒彦著「情報処理技術者試験第1種重点ガイド4 システム構築と応用能力」(日本経済新聞社)

  5. 守田洋一・當麻悦三・向山隆行・海野恭史「情報処理技術者試験 ネットワークスペシャリスト受験研究(上)」

  6. 守田洋一・當麻悦三・向山隆行・海野恭史「情報処理技術者試験 ネットワークスペシャリスト受験研究(下)」(技術評論社)

  7. 日経エレクトロニクス1999.2−22(日経BP社)

  8. JAVAPRESS1999.5(技術評論社)