雨上がりの夕方だった。僕は何をしていたのだろうか。少しばかりの時間をつぶしていたような感じだった。いつの間にかもうこんな時間になっていた。別にこれといった用事もないような感じで、ふらっと歩いていた。
 週末の午後の街は、これでもかというぐらいの人で溢れかえっている。僕はただ歩いていた。時間が過ぎるということはこういうことなんだなぁ。本当に時間が過ぎているのが目に見えるような時間だ。人の多い街の中で、たくさんの人はひとりぼっちに歩いている。そんな中の一人として自分が歩いている。誰も気にしていない。否、どうやらあまりにゆったりとした速度で歩いていたために、後ろを歩く人には気にされたようだ。心を現実の世界に戻し辺りを見回してみると、意外に自分以外の人がひとりぼっちに歩いていないような感じがする。どうやらそうらしい。
 少しばかりの空しさがよぎった後、僕はより空しさを感じさせるためにもっとにぎわう街へと進んでいく。雑踏とかネオンとか、街は自分が街であるということをこれでもかというほどに自己主張していた。そしてその街の中を踊るように通り過ぎていく人々。街はそんな情景を僕に見せつけている。そして僕一人がオブザーバーの街になっていく。今日僕は微笑ったことがあっただろうか、ふとそんなことを考えて。
 誰も彼もが楽しいことがあって、そして楽しそうに街の中に身を任せているわけじゃないんだろう。それがよく分かっている事だとはきっと良く分かっているのだ。人一倍の不幸を抱えているわけでもないのだろうに、どうして空しそうに一人街の中で街の外にいるのだろう。リズムのように街はこの僕を包もうとする、僕はただ無性にそのリズムに身を任せないように眺めていた。走り出してこの街から出ていくような気分でもなかった。


 ただ単に時間を過ぎさせる必要があるような状況だ。そしてもっと時間を過ぎさせるのに良さそうな場所を探しに歩き回ってみる。そんな行動は僕にこのだらだらと流れる時間に緊張感を与えてくれる様子だ。街の中に見たことのある顔を見かける。すっと右手を挙げて、少し目を合わせて、それだけだった。彼女を連れて歩いている様子で、そして僕は彼と話すための話題を持ち合わせている訳でもなく。それが緊張感だった。それがどうやら今日のメインイベントの一つになりそうな予感だった。
 しかしまたこの街は、僕のためにイベントを用意してくれる。数分にもならない時間が過ぎて、また顔を見かける。どうやら次に出会う人は一人の様子だった。他愛もない会話を交わした。そしてここにこれといった用事も持たない二人が揃った。それがとりあえず飲みにでも行こうかというような雰囲気にするのは簡単なことだった。
 どうやら空しさというものは、二人になれば倍増するらしい。今日は別に一人で酒をあおる必要があるような日でもなかったような気がするが、二人になれば酒が必要らしい。何が空しいのかよく分からないのだがただ飲みに行くという事が自然と自分にマッチしているような感じだった。
 ひとりぼっちの時間は過ぎた。それでもどうやら何かが起こるような、空しさを消してくれるような、そんな時間がきたような様子ではない。誰もいないただ一人でいるようなそんな風にしていたが、とりあえずこれといった話題もなく何となくする会話が、自分が空しい気分でいるという事を忘れさせるように祈っているような感じだった。雑踏やネオンは少しだけ今までよりも、自分に馴染んできているような雰囲気だった。
 ネオンや街灯は少しぐらい悲しくて涙ぐんでいるぐらいの方が美しく滲むし、雑踏は悲しみの興奮で耳が痛いくらいの方が心地よい。そんなことを感じることがあったが、今はそんな風な馴染み方でもなかった。でもそれに似ているような気がした。


 二人ぼっちで酒を飲むには、にぎやか過ぎる週末だった。酒は誰しもを饒舌にする、そんな言葉がある。どうやらその言葉は正解のようだ。誰しも異常な盛り上がりを見せていた。そしてそれを見ている自分がいた。数分後には自分も饒舌にはなっていった。たくさんの話題を抱えているようだった。彼とは話したいことがたくさんあったのだろうか。そんなにたくさん話す事があったようにも思えないが、饒舌にされた舌は話さざるを得なかった様子だった。
 いくつのことを話しただろうか。どれほどのことを聞いただろうか。世の中がどうだとかいうようなことも話したような気がする。友人の浮いた噂についても触れたような気もする。そういった話題は別にどうでもいいことだった。ただ単に話し続ける必要があるような気分だった。それにしても時間を過ぎさせることはこんなにも簡単だったのだろうかという程に時間は過ぎてくれた。どうやらひとりぼっちを感じさせすぎる時間は、ある程度取り去られたような感じだった。
 いつまでも話し続けるつもりだった。酒を飲み始めたら終電がなくなって帰れなくなる事など気にする質でも状況でもなかった。でもそれがこちらだけの事情だという事に気づくのは、すぐ後のことになった。いつまでも誰かと話をしていたいような気分だった。名残惜しさというものを感じていた。そしてこの場所から離れるのは何かとても寂しいことだという事を当たり前以上に感じた。
 そしてさよならを言った。何のことはない、ただ少し前の状況に戻っただけの事だった。むしろ少し酔っていて気分が良いはずだった。しかし、風は上手に僕から酔いを取り去っていった。そしてそれ以上に何か大きな大きな空しさを置いていってくれた。


 駅まではそう遠くなかった。歌を歌っている酔っぱらいも見かけた。誰もいない駅で電車を待ち続けるような風情を楽しむような気は更々なく、心地よいうっとおしさを感じさせてくれる雰囲気が心地良かった。しかし一緒に歌を歌う気分でもなかった。でもただ何かそこら中を見回したくなるような気分が続いて、何か空しくて嫌だった。
 電車はどれくらい待ったのかよく分からないが割とすぐに来たような感じがしたが、何となく後ろ髪を引かれるような感じで電車に乗りたくなかった。しかしそういうわけにもいかず、家路についた。車内は必要にして十分に暖かくて、酔いを冷ましてくれる涼しさというものは持ち合わせていなかった。気持ちよく揺られていった、酔いを回してくれるかのようにして。
 数分が僕を家のそばの駅に連れていってくれた。そして僕の街へ降り立った。ここは都会とも電車の中とも違うとても心地の良い涼しい風が吹いていた。そしてそれは心地良い酔いを心地良くとりさらって、はっきりとした意識を運んでくれた。そしてはっきりとした意識の中で、空しさの訳を見つけたような気がした。
 「あっ俺、飲み屋に傘忘れた」


※この作品は甲南大学文化会文学研究会刊「小さな扉1号」(1998)に掲載されました。