子供の頃遊ぶと言えば、何かを「おもちゃ」にして遊んだような記憶が多い。それは既製品の玩具だったり、空き地の草だったり、山の中の土や木だったり、一つ一つ挙げていくときりがないけれど、それぞれに思い入れのある物ばかりだった。
 本当に小さな頃の遊び道具、それは住んでいる家自身だった。親の仕事の都合もあって、子供の頃は引っ越しをすることが多かった。生まれた家を去って、次の家に住んだ。その家が、僕の記憶に残る最初に住んだ家だろう。その頃の僕にとっては、家の中と行っても十分に外界で、家の中を冒険した。階段から落ちたこともあって、泣き虫の僕はかなり泣き続けたように記憶している。けれど、家の中を動き回ることがとても楽しい遊びだった。家の中の物を壊したりしたこともあって、母親に怒られたりした記憶も残っている。この頃の記憶はこんなに曖昧だけれど、この頃の「おもちゃ」であった家を中心にして思い起こすと、様々な記憶がよみがえってくる。この頃僕は、家を冒険して、散々見回していたんだろうな。
 小学校に入る前だから、幼稚園ぐらいだろうか。男の子向けの玩具という言い方をすると、今では差別的かも知れないけれど、ミニカーやプラレールと言った玩具で遊んだ記憶が残っている。ご存知のようにミニカーは、手に乗るほどの小さな車だが、今の玩具のように動力は付いていなかった。だからこの車を動かすには、車体を手で触れて動かさなければならない。だから好きな車のボディーは、いつも剥げていたり、手垢に汚れていたりした。ゼンマイ仕掛けの車の玩具もあったけれど、この場合もボディーが手垢で汚れていた事に変わりはない。そしてプラレールだが、この玩具もご存知だろうと思うが、鉄道模型の子供向け番だと思ってもらえばいい。しかし厄介なことに、子供の頃の僕にはレールを引いても、それを起きっぱなしにしておくだけのスペースを持ってはいなかった。だから、レールを引いて電車を走らせても、遊び終わったらすぐにレールをはずして片づけなければならなかった。レールを付けたりはずしたりを繰り返していたから、レールの接続部分を壊してしまったりもした。この頃に「おもちゃ」では、汚したり壊したりしてしまうぐらいに触りまくって遊んでいたんだな、と回想してみた。
 それから小学校や中学校での思い出では、玩具というか電化製品で楽しんでいたような記憶がある。例えば深夜放送で流行歌を聴いたラジオ、フロッピーに入ったコンピューターゲームがあった。ラジオでいろんな音楽を聴いたりした記憶があるけれど、最後にはあのラジオは、ドライバーを持ってきて分解してしまったように思う。小さなAMラジオで、今のようにステレオでもなくて、非常に単純な構造のラジオだったと思う。分解したことで、ラジオを壊してしまって悲しい、と言うよりは分解するのが楽しかったと言う感情が大きかった。フロッピーに入ったコンピューターゲームといっても、これは当時僕がパソコンゲームが好きだったと言う事を強調するためでもなんでもなくて、フロッピーもやはり分解した記憶があるからだ。あの頃は、情報化社会と言う言葉が現れだした頃。TVのコンピュータ番組で、フロッピーの仕組みを解説するときには、中身の黒い円盤を取り出して見せたりしていた。そんなのを見ていると自分でもやりたくなるもので、フロッピーを引き裂いて中の黒い円盤を取り出してみたりしたっけ。もちろん、そのフロッピーは使い物にならなくなってしまった。この頃遊んだ「おもちゃ」といえるかどうか分からないけれど、分解することをとても楽しんでいたように思う。
 こんな僕だから、女性と交わる時はこうだった。その人の身体を隅々まで見た。それは子供の頃に育った家を見回すように、僕の目に焼き付けた。たとえ何年が過ぎてもその人のその時の身体を忘れぬように細部まで散々見た。助平と言われようとも構わずに。そして、その人の身体を触った。それは子供の頃に玩具で遊んだように、触りまくった。その人の身体に僕の手垢をなすりつけるかのように、その人の体を壊してしまうかと思うくらいに、散々触った。それから、その人の身体を分解した。昔僕を楽しませた玩具の末路と同じように、分解した。僕の「おもちゃ」だから、全て隅々まで知りたかった。だから、細部まで分解し尽くした。


 そして、彼は「女性バラバラ殺人」の罪を認めた。