「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない?」
「そう、まさにそんな感じ。
 でもそれがちょうど良い具合なんだ」


 哲也の家から五分も歩かない、彼の家の近くの道の交差点。哲也の家の方からその交差点を見ると、左右の道から来る車や人が直前になるまでわからない。交差点に差し掛かるあたりには、コンクリートブロックの塀があり、交差点にしだれるように松の木が植えられている。極めて日本的で、カメラにおさめて日本びいきの外国人に見せれば喜びそうな、そんな風景の交差点だ。住宅街の中なので、そんなに交通量が多いということは無いのだけれど、見通しが悪いことが原因なのか、ちっちゃなトラブルが多い。
 交差点に車が差し掛かる、ぼんやりと歩いていた哲也が車にぶつかりそうになる。車がスピードを出していた訳ではないので危ないという様子ではなかったが、「危ないじゃないか」と、哲也はドライバーに怒鳴られてしまう。哲也は確かにぼんやりとしていたが、家の近く、ちょっとくらいの寝癖があっても「まぁ、いいか」で出かけてしまえる距離なのに「気を引き締めておけ」というのも彼には酷な話かも知れない。
 こんなふうに、この交差点には、時々ちいさなトラブルがある。


 いつものように哲也が大学に向かっている、そしていつものように、いつもの交差点の方に向かって歩く。彼の目に時々見かける光景が入ってくる。走ってきた小学生の男の子が女の人と、交差点でぶつかってしまったようで、小学生と女の人が何か話している。
「学校にお菓子を持って言っちゃダメだよ」
 そう言っているのは、女の人の方で、哲也の幼馴染みだ。名前を美希と言う。ただ話している内容が違う。哲也が予想していた会話は「走っちゃ危ないよ」という類の内容だった。そんな予想外に関心を示した哲也は、交差点に差し掛かった時に、美希の方に目線を向ける、その目線には「どうしたの?」というメッセージを乗せて。
 美希は哲也の方に軽く手を上げて、小学生に話しかける。
「これはお母さんに渡しておくからね」
「ネコババすんなよ」
 小学生が、不満そうに美希に言い返して、走り去っていく。その姿を少し目で追った後、少し笑いながら美希が哲也に目線を移していく。


「知ってる子?」
「うん。あの子のお母さんと、うちのお母さんが仲良しだから」
 美希が返事を返し、あの小学生が元気が良くて走り回っていること、お菓子が大好きでよく持ち歩いていることを付け加える。話を聞きながら、哲也は「そういえば体格の良い小学生だったな」というような感想を持つ。美希の話は続き、交差点では、ぶつかりそうになった小学生が、美希を避けようとして転び、ランドセルをひっくり返してしまったことを説明する。
「で、ひっくり返したランドセルからこれが出てきたって訳なのよ」
 小学生から取り上げたお菓子を持った手を上げながら美希が説明する。自分で上げた手を見て、思い出したように取り上げたお菓子を鞄の中に片付けはじめる。小さな車のおもちゃのおまけがついた、キャラメルのお菓子だった。
「そのお菓子、今から届けに行くの?」
「後にする。あの子のお母さんにメール入れておけば大丈夫だから」
 そんな台詞で、交差点のちょっとしたトラブルの会話は一段落する。


「話変わるけど。ん。否、変わらないんだけどさ」
 そう話し始めて、哲也が会話を続ける。
「どうして学校にお菓子を持っていったらダメなんだろう。今回のケースだと、おもちゃのおまけもNGなのかも知れないけど」
「改めて言われてみると難しいな。ダメな理由って、いろいろあると思うけど、なんか良くないことなんじゃない」
 美希は、そんな答えというよりは感想というような返事を返す。その後、勉強に集中できないから、虫歯になるからとか、お菓子持って来れない子がいたらいじめられるからとか、適当な理由を二人で並べあう。これといった結論が出ないまま、会話は別の話題に移っていく。


「そう言えば、朝飯食べてなくて」
 哲也は話しながら、鞄からチョコレートを取り出す。
「チョコレートが朝ごはん?」
「これくらいしか、家に食べ物が無かったから。ま、いいかと思って」
 チョコレートの包み紙を開きながら、哲也が答える。それに対して思いついたように美希が言葉を返す。
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない?」
「そう、まさにそんな感じ。
 でもそれがちょうど良い具合なんだ」
「ちょうど良くはないでしょ、栄養のバランスとか」
 苦笑いをしながら、美希が突っ込みを入れる。
「就活もそろそろエントリーシート送ったりとか、面接とか始まってきてさ。僕もいろいろ考えているんだよ。考える時には糖分取った方がいいとか言うだろ」
「そっか、いろいろ考えているんだ。でも、虫歯になるよ」
「小学生扱いするなよ」
 今度は、哲也が苦笑いになる。


 そんなやりとりをしながら、二人は駅前の銀杏並木に歩みを進める。銀杏並木は寂しいくらいに木と枝だけの姿を見せている。遠くの方に目をやると桜の花が満開に咲いている場所がある。この季節、残念ながら銀杏並木は寒々しい姿だ。
「ここさ、どうして桜を植えなかったんだろう」
「確かに、この季節にここを通ると、そんな風に思っちゃうよね」
 哲也の疑問に対して、同調を返す。そして言葉を続ける。
「今日、二つめの『どうして』だね。『どうして』学校にお菓子を持っていったらダメなんだろう。『どうして』桜を植えなかったんだろう」
 そんな美希の指摘に対して哲也が説明を加える。就職活動の中で「自分はどうしてこの会社を志望するんだ」とかを考えさせられる。その影響なのか、いろいろなことに対して「どうして」を投げかけてしまうのだと。大学入試なんて、偏差値と照らし合わせて入れる大学を受験しただけで、どうしてなんて考えなかった。ここに来てはじめて「どうして」を考えさせられて、ちょっと疲れ気味なんだよ、と。
「でも、『どうして』って、小学生みたいだよ」
「小学生扱いするなよ」
 哲也が、二度目の苦笑いで返す。


 そして、「今まさに人生の岐路に立たされている」そんな言葉で今の状況を説明する。岐路なんてなければ考えなくていいのに、そう漏らす哲也に美希が答える。
「岐路って、交差点のことだよね。さっきあたしが小学生とぶつかりそうになった場所みたいな」
「一応、あの交差点も岐路だね」
「じゃあ、岐路はあった方がいい」
 満足そうに美希が答える。あの交差点がなかったら、今日の哲也と美希の会話はほとんどなくなってしまう。小学生とぶつかりそうになったきっかけで、いろいろな話ができて楽しかったという説明を加える。更に念を押すように「交差点はあった方がいい」そう付け加える。
「でも、岐路に立つと難しいよ。いろんなことを考えなきゃいけないんだ」
 そう言い続ける哲也に、美希が返す。
「そんなの道なりでいいじゃん。交差点はいろいろな人との出会いがある場所。一人で思い悩んで暗くなるための場所じゃないと思うんだよね」


「確かにあの交差点を通る時は何も考えずに、まっすぐ進むだけのことが多い。だけど、右から左から何かがやって来てぶつかりそうになることが、時々ある。本当に『道なり』でいいのか。そんな疑問は残るけれど、一人で思い悩んでいても仕方がない。交差点が誰かとめぐり合う場所と考えれば、面白い。前に進むために少し背中を押してくれる、そんな誰かとめぐり合うための場所であれば素晴らしい」
 そんなことを考えながら哲也が言う。
「誰かと出会うためには、あの交差点走って通り過ぎた方がいいよな」
「でもそれって、小学生みたいだよ」
「小学生扱いするなよ」
 哲也が、最後の苦笑いを返す。