「小説は書き出しが大切」
という事は、文芸創作活動の常識と言っていいと思う。


どうして書き出しが大切なのか?という理由は、
まず最初で読み手をひきつけることが出来なければ、
その続きを読んでもらうことすら出来なくなってしまうからということが大きい。


自分が小説を読む立場になって考えればなんとなくわかる。
小説の「読み始め」から「読み終わり」まで、どこで読むことをやめるか?
1. 読み始めですぐにやめる
2. 真ん中当たりでやめる
3. 最後当たりでやめる
小説を読み切る場合を除き、読むことをやめるパターンを上記の3つに分けると、
圧倒的に1が多く、3はゼロに近い。有る程度長編の場合には2もある。
というように分けられる。


一本の小説を、読者に最後まで読んでもらうためには、
1の読み始めでやめられなければ、最後まで読んでもらえる可能性は高い。
だから「小説は書き出しが大切」なのである。


ところで、
1の読み始めでやめられないような書き出しは、どのようなものなのだろうか?
僕はワクワクできる書き出しがそれだと考えている。
例えば、危機的状況から始まったり、セリフで始まったりするものなど。


昔、このような書き出しを書くことに対して、
「私が書こうとしている小説の場合は、背景をきちんと説明しなければ、
 話がわからなくなるから、最初に説明をする必要があるのだ。」
というようなことを、言っていた人が居た。
が、それは本当だろうか?


僕は、そんな事は無いと思っている。
例えば、『鈴木は佐藤を殴りに行く予定だ。』という書き出しが、
あったとする。
これだけでは、鈴木と佐藤の年恰好は何もわからない。
ひょっとしたら、女性かも知れないし、幼稚園児かもしれない。
でも何かが起こるぞと、ワクワク出来ないだろうか?


反対に背景をきちんと説明した例を上げてみた。
『鈴木と佐藤は、同じ幼稚園に通う幼稚園児である。
 佐藤は雪合戦が得意なので、鈴木はいつも負かされていた。
 その日は雪が降っていたが、雪合戦では勝てないので、
 鈴木は佐藤を殴りに行く予定だ。』
確かにこちらの方が良くわかるのだが、いまいちワクワクしない。


書き出しできちんと背景を説明しなくても、
その後の書き進め方で、背景を伝える事はいくらでも出来るので、
書き出しはワクワクを優先させた方がよいと言うのが、
僕の小説の書き出しに対する考え方だ。


と、書き出しについていろいろと意見を書いてきたが、
「じゃ、途中や最後は大切ではないのか?」と問われると、
やっぱり、途中や最後も大切だと答える。
書き出しは、あくまで最後まで読んでもらうために大切なのである。


途中や最後(特に最後)は、また別の目的で大切なのだと思う。
ある著者の小説を読み終わった後に、
次もまた同じ著者の小説を読もうと思うかどうかは、読後感が影響する。


簡単に言うと、
書き出しでワクワクできれば、最後まで読む。
読み終わって面白ければ、また同じ著者の小説を読む。
ということである。


もっと言えば、
読み手のことを考えて小説を創作すべきということ。
もっともっと言えば、
自分が書いた小説は、まず読者になって読んでみなさいということ。