「めぞん一刻」という漫画は僕自身がとても好きな漫画なので、この本にはとても興味を持って読んでみた。しかしながら好きな漫画であるが故に、それを裏切るような内容ではないだろうか。という不安もあった。しかし僕の不安を裏切るようなエッセイ集ではなかった。しかし期待したようなエッセイ集でもなかったように思う。女神の時代が始まるというテーマで高橋留美子の作品をとらえていて、「めぞん一刻」の面白さについては、音無響子の女神性から来ているように言っていた。僕はただ単に「めぞん一刻」を面白いと思うしそれ以上のことは深く考えない。それで構わない。「めぞん一刻」の新しい一面に出会った気はしない。ただ「めぞん一刻」の読み方の一つに出会っただけだ。そう思うようにした。
 あとがき小説「ビューティフル・ドリーマー」については、はじめは平井和正の作品の発祥について、ノベルチックに書いているだけでどうしてこんなところにこのような小説があるのか疑問だったが、読み進めて意味が分かった。高橋留美子=「めぞん一刻」との出会いが、平井和正にとって、このような小説を描き出すほどの大きさを持つものだったのだと。